お知らせなどのメッセージ

設定が安定。人生100歳の為の足腰の運動や認知症の現象などと、ミニ知識で脳トレの実践を目指していきます。

PR

突然!出費の悪魔が目を覚ます。

きまぐれ日記

ピンポ~ン ピンポ~ン!ーーーは~い!今行きま~す。

こんにちは、道路向かいのXOさん家の工事をやってるggといいます。

XOさん家の足場を組んで、お宅の屋根を見たら、むながわらの漆喰がボロボロで、むな瓦が何枚か外れていて、強風が来たら吹き飛ばされますよ、とても危険な状態になっているので声を掛けさせてもらいました。費用はいただきませんので、屋根に上らせてもらえませんか、写真を撮ってきますから。

ーーーーああ、いいですよ。前に言われたので見てもらったら、台風でも来たら飛ばされる。っというので若い兄ちゃんで不安だったが、緊急処置ということでコーキングか何かをしてもらったんだが、適当だったんだろうと思う。

「写真撮ってきましたよ。こんな状態です。」

ーーーーあぶねぇ~・・・・・むながわらが3か所くらい外れていて、石の塊になってころがってる。強風で落こってきそうだね。

通路側に落ちてきたら通学路だからこわいですよね。これやったの素人ですよ。

ーーーー雨どいの補修を頼んだ業者も適当だったからね。で、いくらくらいかかるの?

ざっと見積もっても100万くらいは行きますね。

ーーーー無理だね、年金生活だからね。

予算はいくらくらいですか?

ーーーー予算なんて、予定外の出費ですから、逆にいくらくらいまで下げられますかねぇ

いったん戻って相談して見積もってみますよ。明日の3時頃でいいですか?

ーーーー了解です。

てなわけで正式に見積もってもらい工事をする事になりました。

この交差点での出費の選択は必然だったのか?それとも偶然だったのか?引退して仕事もせず、幽閉生活で暇な時間を過ごし、幻視にもてあそばされ、「レビー小体型認知症?だろうから、脳を鍛えるためにも、記憶の把持・再生の為にも、脳を活性化させるように」、と言われている爺さんは考えた。

この選択が必然であり、これまでも、これからも必然がすべてを占めるとすれば、主体性も自由もなく、また、個性もなければ、責任もないという事になる。

では、偶然だとしたら?、やはり、自由も個性も責任も凡てが必要ないことになる。

となると、我々の世界は必然なのか偶然なのか、主体性はあるのか?自由なのか?との問題提起に発展してしまう。ここで講義をやるつもりはないので素通りした思いを書いてみた。

ある人が、ある用事で我が家の前を通った。とたんに屋根の瓦が落ちてきて頭にあたって重傷を負った

この場合、

屋根と瓦を一つのシステムとみて、最初にそこに置かれ、何年かたち、腐蝕が進行し、あるときずり落ちるべく必然の法則によって決定づけられていたという。

また、重傷を負った人も、その人個人の何らかの理由でその時刻に、我が家の前の通学路を通る必然の法則によって決定づけられていたという。

これは必然の法則が支配する二つのシステムである。この二つのシステムが、どこで交わるか。

瓦と屋根のシステムが、たまたまある男の行動のシステムと我が家の前で交差する。

そういう二つの必然性の世界が交差する時にそれを偶然と呼ぶ。

しかしながら、この二つのシステムを共包んだ、より大きなシステムをとると、この二つのシステムが交差することさえ必然的に説明ができるはずと、これはある学派の説明である。すなわち、自分のシステムに属さないものとの交差は偶然を使うが、本当の意味では偶然性を認めたくないのであろう。危ない、危ない、一歩間違えば地下鉄漫才のルーチンに入りそうです。

散歩の止まり木 ここ