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山陽無煙炭鉱の歴史(むえんたん 美祢市教育委員会発行より) Topに戻る


明治10年
明治20年
明治27年
明治30年
明治37年
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明治38年
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1877年
1887年
1894年
1897年
1904年
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1905年
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無煙炭を発見
石灰焼成に無煙炭を使用。大嶺炭田の採炭進む
美祢郡の銅鉱山で無煙炭を精錬に使用
渋沢栄一⇒長門無煙炭鉱を設立
海軍省⇒長門無煙炭鉱の鉱区を買収(4月)
海軍省⇒海軍練炭製造所採炭部を大嶺に設置(8月)
海軍省⇒大嶺線を急設着工(9月)
桃の木南抗の開抗式に東郷平八郎大将が臨席
大嶺線の開通(39年国鉄が買収)



(27 日清戦争

(37 日露戦争
大正 4年
大正 6年
大正12年
大正13年
大正15年
1915年
1917年
1923年
1924年
1926年
榎山炭砿発足(旧朝日炭鉱より改名)
野口遵⇒大嶺無煙炭鉱㈱を創立
海軍省⇒大嶺採炭部を廃止(民間払い下げ)
原邦造⇒山陽無煙炭鉱㈱を設立(1月)
大嶺無煙炭鉱鉱夫、労働争議を展開(10月)(参加者350人)




(12 関東大震災
昭和 6年
昭和11年
昭和12年
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昭和14年
昭和17年
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昭和18年
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昭和19年
昭和20年
1931年
1936年
1937年
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1939年
1942年
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1943年
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1944年
1945年
山陽無煙炭鉱㈱と大嶺無煙炭鉱㈱が合併(6月)
山陽無煙炭鉱は日産コンツエルンに経営移行し山陽無煙鉱業所となる。
麦川から美祢斜坑、三ツ杉から豊浦斜坑を卸す、炭住は豊田前麻生と白岩地区に決定。
山陽無煙鉱業所の白岩社宅建設始まる
豊浦社宅の造成始まる。丘陵地(本通)の東側から着手、順次西側に建設。
11月3日にヤマの安全を祈るために、愛媛県大三島の大山祇神社から勧請して、豊浦山神社を建立
美祢斜坑と豊浦斜坑の深部採掘基幹中央坑道が水準下85メートル(地下1000m辺り)で貫通成功!!
山陽無煙⇒英軍捕虜177人を収容(白岩)、18年8月に米軍捕虜300人加わる
山陽無煙⇒3月坑内選炭場を作る
山陽無煙⇒8月朝鮮人寮暴動事件
宇部興産㈱が山陽無煙と本山(小野田)を買収(6月)
宇部鉄工所の一部が山陽無煙に疎開、8月に終戦をむかえる。


( 6 満州事変

( 8 日本国際連盟を脱退

(12 日華事変起る
(12 豊浦社宅造成開始

(14 豊浦山神社建立

(16 太平洋戦争開戦


(20 終 戦
昭和21年
昭和22年
昭和23年
昭和27年
昭和28年
昭和29年
昭和32年
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昭和33年
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昭和34年
昭和35年
昭和36年
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昭和37年
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昭和39年
昭和40年
昭和45年
昭和46年
1946年
1947年
1948年
1952年
1953年
1954年
1957年
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1958年
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1959年
1960年
1961年
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1962年
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1964年
1965年
1970年
1971年
2月山陽無煙労働者組合を結成、(9月)萩嶺炭鉱開坑⇒(昭和33年5月閉山)
宇部興産㈱⇒滝口、白岩の鉱区を分譲、大明炭鉱開坑⇒(昭和48年3月本坑閉山)
日本政府⇒山陽無煙を国家管理炭鉱に指定(宇部石炭局を設置)
山陽無煙労組63日スト
山陽無煙⇒合理化に取り組む(運搬にディーゼル機関車導入)
大嶺無煙炭鉱㈱開坑(昭和45年7月閉山)
山陽無煙⇒鉱員を西ドイツに派遣(第1陣)
宇部興産㈱⇒大嶺選炭㈱を設置、竜現地炭鉱開坑(昭和38年1月閉山)
宇部興産㈱⇒大明無煙炭鉱組合に経営参加
山陽無煙⇒鉱員3名を西ドイツに派遣(第2陣)
山陽無煙⇒ケーブルベルトコンベアー設置
山陽無煙⇒深部開発工事完了
宇部興産㈱⇒11月爐ケ谷無煙炭鉱設立(昭和45年7月閉山)
山陽無煙⇒空気選炭機設置
山陽無煙⇒水圧鉄柱を採用
1月26日夜から集中豪雪がはじまる
山陽無煙⇒草井川鉱区で露天掘りを開始
山陽無煙年間最高86万トン出炭
11月、宇部興産㈱山陽無煙鉱業所閉山、大嶺無煙炭鉱閉山、爐ケ谷無煙炭鉱閉山(7月)
2月山陽無煙鉱業所閉山式

(21 労働組合法公布
(21 石炭復興会議設立
(22 労働基準法公布
(23 宇部石炭局設置
(25 豊浦会館完成
(25 朝鮮動乱

(27 公認25mプール完成
(28 豊田前町制施行
(29 美祢市制施行


(32 美祢市人口が40000人を突破
(34 美祢市庁舎が完成