初春に なんで河童の夢見たの?消えゆくカッパ伝説!

昨日、女房が柄杓をもって、寝ている私の顔に近づいてきた。ワッアアア!
と声をあげて慌てて体をひねって半回転した。
何も起こらない!???振り向くと、河童が柄杓を持って立っていた。

ここで目が覚めた。なんだ今の夢は・・

さっきまで見ていた夢と流れが全く違う。思い出そうとするが、この場面の前に見ていた夢があったんだが、女房が柄杓を持って顔に近づいてきた段階ですべて忘れてしまっている

しかも、冷静に考えてみたら、この夢が記憶に残る今年の初夢なんだな、初夢が女房と河童に追われるシーンとは・・・・・、どんな一年になるんだろう・・・・・?

私は、河童が出るという三段堤(ため池)で一人で泳いだことがある。
土手から河童が休むという岩に降りて、岩に手をついて足から堤に入り泳いだのである、さすがに潜ることはできなかったが浮草の少ないところを平泳ぎで移動した。

感じたのは、水が急に冷たくなったり、ぬるくなったりしてプールのように一定ではないこと、浮草のくきが足に絡みなかなか切れないこと、浮草が胸や腹部をなぜていく、足を河童に引っ張られないように、立ち泳ぎにならないように注意した。

こんな記憶がよみがえった。自宅に帰った私は、当然、説教とおやつ抜きであった。

よく聞くと、過去に泳いだ人がいて、河童に引き込まれた?らしい。見つかったときは、、ほんの1mくらい水面下で浮草の茎が体に巻き付いて死んでいたという。

なぜ、女房と河童の夢なのかは不明であるが、河童と言えば、やはり、芥川龍之介の作品ではないだろうか。

       どうか Kappa と発音して下さい。

 これは或精神病院の患者、――第二十三号が誰にでもしやべる話である。彼はもう三十を越してゐるであらう。が、一見した所は如何にも若々しい狂人である。彼の半生の経験は、――いや、そんなことはどうでも善い。彼は唯ぢつと両膝をかかへ、時々窓の外へ目をやりながら、(鉄格子をはめた窓の外には枯れ葉さへ見えない樫の木が一本、雪曇りの空に枝を張つてゐた。)院長のS博士や僕を相手に長々とこの話をしやべりつづけた。尤も身ぶりはしなかつた訣ではない。彼はたとへば「驚いた」と言ふ時には急に顔をのけ反ぞらせたりした。……
 僕はかう云ふ彼の話を可なり正確に写したつもりである。若し又誰か僕の筆記に飽き足りない人があるとすれば、東京市外××村のS精神病院を尋ねて見るが善い。年よりも若い第二十三号はまづ丁寧に頭を下げ、蒲団のない椅子を指さすであらう。それから憂鬱な微笑を浮かべ、静かにこの話を繰り返すであらう。最後に、――僕はこの話を終つた時の彼の顔色を覚えてゐる。彼は最後に身を起すが早いか、忽ち拳骨をふりまはしながら、誰にでもかう怒鳴りつけるであらう。――「出て行け! この悪党めが! 貴様も莫迦な、嫉妬深い、猥褻な、図々しい、うぬ惚れきつた、残酷な、虫の善い動物なんだらう。出て行け! この悪党めが!」

この作品のあらすじについて簡単にまとめておきたいと思います。

精神病院に入院している患者の回想としてこの作品は始まります。

主人公となる「僕」は3年前の夏に上高地の温泉宿から
穂高山へ上ろうと霧の深くなる梓川の谷へ下りて行った時に
偶然河童を見かけます。

「僕」は追いかけますが、河童を追いかけている途中のどこかで
穴の様な深い闇の中に落ちて気を失ってしまいます。

「僕」が気がつくと、そこは既に河童の世界だったのです。

「僕」は河童の世界で「特別保護住民」として生活する事になります。

河童の世界の住人となった「僕」は、
チャックという医者、バッグという漁夫、
トックという詩人、ゲエルという大資本家、
ラップという学生
と言った様々な河童たちと出会い、親交を深めます。

すると、河童の世界は人間の世界と似ているようでいて、
実を言うと全く違った価値観を持った世界だ
という事が明らかになってきます。

 

こうした河童の価値観に対して人間である「僕」は
おかしいのではないか?と意見しますが、
河童達は彼らの世界の理屈を「僕」に対して説明します。

すると、その説明された理屈というのは
確かにきちんと筋が通っているものであり、
「僕」はそうした理屈に納得させられてしまいます。

そして、その価値観の中で生活していきます。

しかし、やはりこれまでの人間として生きてきた記憶もある事から
完全には河童の世界に溶け込めず、

さらにはトックの死があって、
「僕」は人間の世界に戻る事を望み、行動します。

結局、「僕」は人間の世界に戻れるのですが、
河童の世界での価値観というものを身につけてしまった事から、
人間の世界では精神病患者とされてしまいます。

入院している「僕」のもとには、
時々チャックやバッグらが訪ねてきます。

医者であるチャックによると、
「僕」を精神病患者として扱っている人間たちこそ精神病患者であり、
「僕」はいたって正常なのだという事です。

あらすじは以上です。

河童は、地方によっては、「がたろ」「がわっぱ」などと呼ぶところもあるそうですが、日本中に広く知られています。
形は、たいていオカッパ頭で、頭の上に皿があり、水かきのついた手足を持っています。
この河童、見たという人がかなり多く全国に広がっているんですが、正体を探っていくと、どうやらカワウソではないか?というのです。

カワウソはイタチの仲間で大きな太い尾をもっています。そして、この尾を支えにして、陸に上がっても立ち上がる性質があります。
その立ち上がった大きさがちょうど人間の子供くらいです。

カワウソの頭の骨は、上下に押しつぶされた形で、頭のてっぺんは平たくなっているそうです。
夕暮れどきの川べりに、このカワウソが立ち上がった格好を想像してみてください。
水にぬれた毛、平たい頭にキョロキョロした目、ちょうど子供の大きさ。

まさに、我々が想像する河童そのものに見えるんじゃないでしょうか?

江戸時代の、河童に関する絵や文献を覗いてみると、その習性の大部分はカワウソのものだそうです。
たとえば、「水虎十弐品之図」に書かれた河童は、明らかにカワウソとスッポンの混合した形であろう。

河童が日本全国に分布しているように、カワウソもかっては北海道から奄美大島あたりまで分布し住んでいました。
しかし、いま日本に住むカワウソはほとんど絶滅寸前になっています。河童の伝説とともに消えてしまうのでしょうか?